「コミュニティ」って結局なんなんだ?BARDで読み解こう
そのコミュニティは本物かただのバイブスか?「BARD」を用いて検証しましょう。

韓国初のWeb3リサーチチームであるFour PillarsのPonyoさん(@13300RPM)が「コミュニティとは何なのか」という面白い記事をX Articleで書かれていたので、許可をいただいて日本語に訳しました。元のX Article「What the F*CK is a "Community"? (Breaking It Down with BARD)」はこちら。
BGMはNetflixドラマ「Witcher」から、吟遊詩人ヤスキエルによるToss a Coin to Your Witcherをどうぞ。ちなみに吟遊詩人は英語でbardです。
これを読むべきなのは誰か?
- 「コミュニティがすべてだ」と言うファウンダー
- 毎回そのセリフを聞かされるVC
- Discordの盛り上がりを”本気度”だと思い込んでいるDegen
次の質問に答えてみてほしい。
- あなたのコミュニティには、何か共通の信念があるだろうか?
- 誰が、どのくらいの頻度で貢献している?
- 最近の70%のドローダウン(時価総額の下落)で、TelegramやDiscordはどうなった?
- 彼らは「互いに繋がったネットワーク」なのか?それともただの「群衆」か?
これらに30秒以内で答えられないなら、あなたはコミュニティを本当の意味では理解していない。オーディエンスを理解しているけど、コミュニティとオーディエンスは別物だ。
※この記事の執筆にあたり、@poopmandefi(@IOSGVC)、@0xjunkim(@hashed_official)、@devrelius(@StoryProtocol)、@0xBrans(@injective)、@100y_eth(FourPillarsFP)から貴重なフィードバックをいただいた。心より感謝。
1. クリプト界で乱用されるバズワード
CT(クリプトツイッター)やWeb3のピッチ資料を眺めていると、「うちは最高のコミュニティを持ってます!」というお決まりの文句を見かけるだろう。トークンのプレセールでも、NFTドロップでも、イケてるサイトを持つL1でも、みんなが口を揃えてコミュニティを自慢する。でも、ちょっと掘ってみれば、「コミュニティ」はただの投機家たちが集まったTelegramグループだったりする。クリプトの世界で、「コミュニティ」という言葉は「分散化(decentralization)」や「イノベーション(innovation)」と並ぶ、意味の曖昧な便利ワードに成り下がってしまった。みんなが「コミュニティがある」と言っている時ほど、実際には誰も“本当の意味でのコミュニティ”を持っていない、というのはよくある話だ。
本記事は、そんな現状に対する警告であり、立て直しの呼びかけでもある。「コミュニティ」とは何かを、もっと真剣に考えるべき時が来ている。それは「雰囲気(vibes)」ではなく「構造(structure)」の話だ。スローガンではなく、システムの問題なのだ。
そこで、BARDを紹介したい。
Belief(信念)、Action(行動)、Resilience(レジリエンス)、Density(密度)。この4つの柱で構成されるフレームワークは、クリプト界にあふれる「コミュニティ」に関する主張に潜むデタラメを見抜く探知機だ。
BARDは、ふわふわした「コミュニティの雰囲気」を、検証可能な構成要素に分解する。あなたが忠実なユーザー基盤を築こうとするファウンダーであっても、次のナラティブ(流行り、物語)を探すDegenであっても、長期的なネットワーク効果を見極めたいVCであっても、BARDのフレームワークを使えば、「本物のコミュニティ」と「演出されたハイプ」の違いが見えてくるはずだ。

本題に入る前に、ひとつ伝えておこう。
これは厳密な計算式ではなく、思考の枠組みとして捉えてほしい。「コミュニティ」という曖昧で気持ちのいい言葉を、もう少し構造的に扱えるようにするための方法だ。さらに重要なのは、これは「群衆よりも一歩先に、正しい方向を見定めるためのレンズ」だということだ。
2. Belief - 信念(カルトの核)
信念は、コミュニティのカルト的な核だ。共通の信仰、あるいは倫理観である。優れたコミュニティは、ただの集まりではなく、使命(ミッション)を帯びたムーブメントのように機能する。
真のクリプト・コミュニティは、いつだって信念から始まる。それは、単なる価格以上の何かを共有する確信だ。Web3の世界で、それはしばしば「宗教」に近づく。これは誇張ではない。クリプトは、文字どおり「ナラティブ」と「信仰」で動いている。クリプト・コミュニティが宗教的ムーブメントに似ているのは偶然じゃない。Bitcoin、Ethereum、Solana、それぞれに熱狂的な信者(通称maxi)がいて、主要なアルトのほとんどには、信者を指すニックネームがある。@berachainのBeras、@initiaのInitiates、@injectiveのNinjas…例を挙げればキリがないだろう。あるエッセイではこう書かれていた。「もっとも強力なナラティブは宗教だ。宗教は、道徳・物語・実践を組み合わせ、影響力を何倍にも増幅し、自走するムーブメントを生み出す。」
その前例をつくったのがBitcoinだった。「分散化は善、銀行は悪。個人の主権は善、国家の管理は悪。プライバシーは善、監視は悪」―これらの原則は、まるで聖書のように扱われた。ただBTCをホールドするだけではない。ビットコイナーはその信条(セルフカストディ、反銀行主義、レーザーアイ)を生きている。この信念こそが、Mt.Goxが崩壊したときも、メディアが89回目の「ビットコインは死んだ」を報じたときも、Bitcoinコミュニティが崩れなかった理由である。

Ethereumにも、独自の信念体系がある。オープンなインフラ、あらゆるものの分散化、「ワールドコンピューター」という構想。こうした中核の信念があるとき、単なるユーザーベースは「理念を持ったムーブメント」へと変わる。同じトークンをたまたま持っている集団と、本気で何かを目指しているムーブメントとの違いだ。
とはいえ、その信念も、中心となる理念がズレはじめると弱まっていく。それはユーザーの間で起こるのではなく、むしろ、リーダーたちの間で起きる。いまEthereumが直面しているのが、まさにこれだ。アップグレードの優先順位をめぐる内部対立、Ethereum Foundation(EF)内のリーダーシップ争い、そして最近では利害関係をめぐる論争。こうした出来事が、かつて一枚岩だったナラティブにヒビを入れつつある。Ethereumは依然として強い文化的求心力を持っているが、方向性の不統一や、中心人物たちが異なる思想的ベクトルを向いているという印象は、「ミッションの迷走」への懸念を確実に高めている。

一方で、本物のコミュニティにおける信念は、願望だけで成立するものではない。現実によって裏打ちされ、積み重ねられていく必要がある。プロダクトを実際にリリースし、マイルストーンを達成し、掲げた価値観と行動が一致しているプロジェクトこそが、コミュニティに「信じる理由」を与える。信頼は、エアドロップのように空から降ってくるものではない。時間をかけて、積み上げていくものだ。
信念をどう測るか?
そのプロジェクトのミッションや価値観を、マーケティングの言葉をなぞらずにコミュニティメンバーたちが自分自身の言葉で語れるか?自発的にミームやスローガン、お約束のような習慣を生み出しているか?共通の言葉や物語が存在せず、「なぜここにいるのか」という問いにトークン価格以外で答えられないなら、それは信念ではなく、ただの出口戦略(exit liquidity)でしかない。
信念は、心の支えだ。「何かのために立ち上がらなければ、何にでも転んでしまう」ということわざがあるように、何のために立ち上がっているのか分からないコミュニティは、あっという間に崩れていく。
3. Action - 行動(トークンホルダーから貢献者へ)
行動は、本物のコミュニティと、ただの受け身なオーディエンスを分けるものだ。
その実態は、貢献と参加にあらわれる。強いコミュニティには、手を動かす人が多く、彼らは行動で示す。コンテンツをつくり、互いに助け合う。報酬のためではなく、情熱に突き動かされているからだ。
信念が火を灯すとすれば、行動はその火を絶やさず燃やし続けるものだ。
本物のコミュニティは、ただ信じているだけではない。実際に手を動かし、何かをビルドする。分散化とオープンソースが基本のクリプトの世界において、最も優れたコミュニティは行動による自治(do-ocracy)になっている。何を持っているかではなく、何をしたかで評価される。

ホルダーが10万人いても、実際に手を動かして貢献している人は100人しかいない…そんなプロジェクトは珍しくない。それはコミュニティではなく、ただのウォッチリストである。本当に強いコミュニティは、その比率をひっくり返す。
ユーザーをビルダーへ、教育者へ、モデレーターへ、ミーム職人へ、ガバナンス参加者へと変えていく。Ethereumを見てみてほしい。何千人もの開発者、研究者、熱狂的な信者たちが、EIPを書き、dappを開発し、ノードを立て、ハッカソンに参加し、フォーラムを管理し、ドキュメントを翻訳する。あらゆる形で貢献しているのだ。Ethereumが凄いのは、なんとなくかっこいいと思われているからじゃあない。もっと良くしていこうと、腕によりをかけて動いている人が本当に多いからだ。あるOGコミュニティビルダーが言っていた。「自分から動いて貢献すること、それが何より強い。Ethereumは、それをうまくやってきた。」
多くの強靭なエコシステムは、コミュニティが自らつくったツール、自主開催のイベント、ローカルアンバサダーたち、そして数えきれないほどの自発的な貢献によって支えられている。その多くは草の根的なボランティア主導で、ローカルで普及されていく。彼らは何を主張するかではなく、何を形にしたかで価値を証明している。
コミュニティの価値とは、そのコミュニティが生み出す価値そのものだ。
それを実現するには、プロジェクト側が参加のハードルを下げ、貢献した人をちゃんと認める必要がある。助成金やバウンティを活用するところもあれば、ステータスやソーシャルキャピタルで報いるところもある。やり方は違えど、目指すところは同じだ。貢献の余地をつくり、努力に報い、自ら動いたメンバーを引き上げる。クリプトの世界には、頼まれてもいないのに意味あることをしているボランティアがたくさんいる。彼らはなぜ動くのか?プロジェクトを気にかけているからだ。
行動をどう測るか?
見るべきは、具体的なアウトプットと分散された参加だ。誰がプロポーザルを書いている?誰が仕切っている?独立したプロジェクトやダッシュボード、ローカルミートアップやサイドツールはあるか?
もし貢献の90%がコアチームからしか出てきていないなら、そこにコミュニティは無い。オーディエンスがいるだけだ。でも、ネットのどこかの名も知らぬ誰かが、勝手に価値を生み出し始めたら?頼まれてもいないのに、解説を書いたり、ユーザーの新規参入を助けたり、バグを直してたりし始めたとしたら?それは、コミュニティの鼓動だ。
「貢献者こそ、コミュニティの通貨だ」と言った人がいた。お金ではなく、時間とエネルギーを投じる人が多いほど、そのコミュニティは、より本物で、より価値あるものになっていく。
4. Resilience - レジリエンス(ダイヤモンド・ハンズ)
レジリエンス(回復力)は、コミュニティのダイヤモンド・アーマーだ。コミュニティの真価は、ベアマーケット(弱き相場)、ハッキング、想定外のトラブルなど、プロジェクトが逆境にさらされた時にこそ試される。強いコミュニティは、それらをただ乗り越えるだけでなく、むしろ「共に嵐をくぐり抜けた」という絆によって、より強くなる。
クリプトの世界は、そもそもボラティリティの上に成り立っている。マーケットは暴落し、プロトコルは壊れ、ファウンダーは姿を消す。レジリエンスが問うのは、こういうときだ。何かが崩れたとき、コミュニティはバラバラになるのか? それとも団結するのか?ハイプの波が引いたあと、そこに残っているのは本当に信じていた人たちか? それとも誰もいない、空っぽの浜辺か?

共にリスクを取ることで、人は繋がる。
ニーチェが語っていたのはクリプトではないが、彼の「危険に生きよ!ヴェスヴィオ火山の斜面に都市を築け!」という言葉は、まるでクリプトの世界を予言していたかのようだ。Degenは、これを文字どおりに受け取った。ボラティリティの高いプロトコルに資金をロックし、正体不明のトークンに飛び込み、何度もの暴落を生き延びる。こうした共通体験が、仲間意識を育てていく。90%のドローダウンを何度か一緒に乗り越えれば、そこにはもう部族(tribe)ができるのだ。
回復力のあるコミュニティは、痛みを通して構築されていく。そこには確かな信念がある。彼らはエアドロップ目当てで居るわけではない。メンバーたちが、ベアマーケットでも貢献をやめず、ミームを作り続け、なんならさらに深くコミットしていく…そこにあるのは強さだ。
ベアマーケットで消えるような”コミュニティ”は、最初からコミュニティなんかじゃない。
そして、「危機を乗り越える」とは、単に生き延びることではない。本当に強いコミュニティでは、その傷跡が勲章となり、教訓となって、仲間たちをさらに結束させる。SolanaがFTX崩壊後にたどった道は、まさに教科書のような例だ。
価格は95%崩れ、最大の支援者(SBF)は姿を消し、メディアは「Solanaは死んだ」と書き立てた。それでも、ビルダーたちは残った。NFTドロップは止まらず、DeFiアプリはローンチされ続け、ミームはむしろ進化した。FTX後のあのトラウマはSolanaの伝説になり、たまたまSolanaに立ち寄っていただけの観光目当てのお客を除去し、核となるメンバーを鍛え上げた。いまSolanaを信じている人々は、あの崩壊の中にいて、離れなかったことを誇りにしている。そういう忠誠心は、作ろうとして作れるものではない。時間と痛みの中で、勝ち取るものだ。
対照的なのがEOSだ。記録的なICOで40億ドル以上を集めながら、信念とレジリエンスを持ったコミュニティを築くことには失敗した。勢いが鈍り、ガバナンスのゴタゴタが表面化すると、参加者は次々に離れ、コア貢献者も去っていった。
ブルマーケット(強気相場)の最中には活気があるように見えたが、今となっては、それは表面的なものだったと言わざるを得ない。
レジリエンスをどう測るか?
悪い時期のふるまいを見ることだ。コミュニティは消えたか? それとも、活動は続いていたか? あるいは逆に増えていたか?マーケットのドローダウン中に、TelegramやDiscordのエンゲージメントはどうなっていたか?貢献者たちは残っていたか? それとも入れ替わっていったか?「あの2022年を一緒に生き延びた」みたいな戦友トークが出てくるか? それが「文化的記憶」であり、非常に重要なものだ。
信念は、ある程度なら定量化もできる。例えば、価格が下がっているときにおけるステーキング率や長期保有率。あるいは、年をまたいで残り続けているコア貢献者の数などだ。レジリエントなコミュニティには、「忍耐」と「記憶」がある。
なぜそこにいるのかを忘れず、サイクルを超えてミッションに向かい続けるのだ。
5. Density - 密度(重要なのは数じゃない、どう繋がっているかだ)
密度とは、コミュニティを繋ぐ繊維のようなものだ。メンバー同士の関係性、つまり内部のネットワークがどれだけ濃く編み込まれているか。それが密度だ。
豊かなコミュニティとは、オーディエンスではなくネットワークである。そして本当に大事にしているのは、フォロワー数といった見かけの数字ではなく、深いエンゲージメントだ。
この最後の柱、密度は、おそらく最も見落とされがちな要素である。クリプト業界は「大きな数字」を誇るのが大好きだ。フォロワー数、トークンホルダー数、Discordメンバー数……でも、繋がりのない数字には意味がない。密度が測っているのは、「そのうちの何人が、実際につながっているか?」だ。彼らは協力しているか?会話しているか?アイデアを共有しているか?それとも、コアチームの周りをただぼんやり回っているだけなのか?

密度の高いコミュニティは、生きているソーシャルネットワークのようなものだ。メンバー同士の繋がりが多ければ多いほど、信頼は強くなり、連携はしやすくなり、離脱が減る。全員が公式アカウントだけをフォローしているような状態なら、それは単なるオーディエンスであって、コミュニティではない。あるクリプト系のコンサルティンググループは、コミュニティの密度を「公式アカウントを超えたフォロワー同士のつながり」と定義した。XやDiscord、フォーラムで、メンバー同士がフォローし合い、会話を交わしているなら、そこにはもうネットワークができている証拠だ。
これが重要な理由は、ネットワーク効果は、密度から生まれるからだ。密度の高いコミュニティでは、情報の伝達が速く、調整もスムーズで、帰属意識が強くなる。実際の繋がりが、忠誠心を育てる。だからこそ、サブDAOや地域ミートアップ、ニッチなチャンネルといった「デジタルな世界でのご近所づきあい」が自然に生まれる。
もしファウンダーがいなくなったら?プロジェクト自体が終わるわけではない。
密度のあるコミュニティは、ひとりの声やハイプに依存していない。ブランドではなく、人と人の繋がりで成り立っているから、生き延びていくのだ。
大切なのは「数」ではなく「質」だ。エンゲージしない1万人のフォロワーより、毎日会話している1000人の方がよほど価値がある。メトカーフの法則が示すように、コミュニティの価値は「人数」ではなく「意味のある繋がりの数」で決まる。
密度をどう測るか?
直接測るのは難しいが、手がかりはある。Discordでのアクティブな会話者の比率、Xの返信といいねの比率、コミュニティ内の相互フォローの多さ…こうした指標がヒントになる。フォーラム、プロポーザル、ミームアカウント、ガバナンス……どこを見ても同じ名前が出てくるなら、それは活動の重なり(overlap)があるということだ。こうした重なりが多いと、コミュニティの密度は高い傾向にある。密度の高いコミュニティには、しばしば家族のような雰囲気が生まれる。そこに入れば、人と人との友情が網の目のように張り巡らされているのを感じるだろう。逆に、密度の低いコミュニティでは、たいてい中心人物の誰かの声だけがこだましている。それはネットワークではなく、一方通行のステージだ。
密度こそが、コミュニティを自走させる力になる。繋がりが強ければ強いほど、そのコミュニティは簡単には消えはしない。
6. すべてをひとつに
もうそろそろ、言葉に中身を求めるべき時だ。「コミュニティ」は魔法の粉じゃない。プロジェクトにふりかければ何かが起こる、なんてことはない。それは、Belief(信念)によって育まれ、Action(行動)によって築かれ、Resilience(レジリエンス)によって証明され、Density(密度)によって強化されていくものだ。
それぞれの柱は、コミュニティの強さを測るためのレンズになる。単体でも多くを教えてくれるが、4つを組み合わせれば、ネットワークの健全性を評価・採点するためのフレームワークになる。
たとえば、各項目を1〜10で採点して、全体スコアを出すこともできる。本当にレジリエントなプロジェクトなら、こうなるかもしれない:B=9(明確な理念)、A=8(活発な貢献)、R=10(試練をくぐり抜けた忠誠)、D=8(密に結びついたネットワーク)→ 合計35点 / 40点。一方で、「うちは最高のコミュニティがありまぁす!」とだけ言ってる過大評価プロジェクトはこうだ:B=5、A=3、R=2、D=4→ 合計14点 / 40点。
こうした評価を支えるツールもすでに登場している。たとえば @KaitoAIは、自然発生的な参加のトラッキングや、高シグナルな貢献者の可視化、意味あるエンゲージメントへの適切な報酬設計を支援することで、BARDのフレームワークを現場で運用するための重要なインフラになりつつある。
クリプトの世界では、技術はフォークできるし、資本は気まぐれに動く。だが、本物のコミュニティと文化だけは、コピペできない。だからこそ、次にファウンダーやインフルエンサーが彼らの最高のコミュニティについて豪語したら、BARDで説明するよう尋ねてみてほしい。もし彼らが答えられないなら、そこにコミュニティは無いのだろう。
(次回の記事では、このBARDフレームワークを用いて、主要なブロックチェーンおよびNFTプロジェクトのコミュニティ強度を実際に測ってみる予定だ。)
あとがき
コミュニティ構築に携わる身としては、全編うんうんと頷きながら読みました。
「うちにはすげーコミュニティがあるぜ!」と言われて覗いてみれば、そもそも誰も話していなかったり、ソーシャルキャンペーンでかさ増ししたポエムbotだらけの、この世の終わりみたいな場所だったり。さらに悪化した“コミュニティ”では、bot同士が会話しているなんて光景も。そんなアポカリプスでも、メンバー数は5万人とか居たりするので、数字だけ見れば立派なコミュニティに見えてしまいます。この異様さが分かるのは、本物の活きたコミュニティを経験したことのある人だけなんですよね。
記事内でも触れられていましたが、Web3コミュニティの構築には、ある程度のプレイブックが存在します。このあたりも、また改めて記事にしてみたいです。
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